なんとなく夏
自動販売機が並ぶ薄暗いそこに、新しく地蔵が加わったのかと思った。
伏黒は訓練終わりだった。
真希との手合わせを終え、復習も兼ねて1人で体を動かした後、疲労感が重く残る体で飲み物を買って寮へ戻るつもりだった。
日陰に足を踏み入れ吹き抜ける風に目を細めると、一滴、また一滴と、汗が頬から顎へ伝う。
ぐいと拭こうとした拍子にそれは目に入った。
伏黒はうっかり無口を破って漏らした。
「地蔵かよ」
スマホ決済でポイントが貯まるタイプの自動販売機、独特の味がラインナップされた安さが売りの自動販売機、
地蔵、買うと当たる確率が異様に低いスロットを勝手に回す自動販売機。
元々そこにあったはずのゴミ箱は清掃中なのか、蓋を開けられ、ゴミ袋が外れた状態で少し離れたところに置かれている。
伏黒はゴミ跡地の謎地蔵に視線を戻した。
が、一旦無視することにした。
100円のボタンを押し、スマホをかざして決済する。
水のボトルは重たい音と水滴を纏って落ちてきた。
喉が渇いているときに限って自動販売機はペットボトルを縦に落としてきやがる。
伏黒は眉を顰めてしゃがみ、隙間に手を突っ込んで半ば無理矢理引っ張り出した。
ばきばきとボトルが音を立てたので、横目で地蔵、もとい一学年上の先輩を見遣る。
ぴくりとも動かない。
は大体いつも寝ているし、こんな程度の音では起きないので、それ自体は何ら変わりないのだが。
「だれが置いたんだよ、これ…」
お行儀よく体育座りをした膝の上で両手は合掌の形を作り、おにぎりと箱入りのスナック菓子が供えるように足元に置かれている。
まさしく地蔵。笠がないのが不思議なくらいだ。
おにぎりのラベルには"牛しぐれ煮"のシールが貼られていて、こういった変わり種っぽいものを選ぶのは虎杖に違いないと思った。
手を合わせながら眠るなどには出来そうもないので、狗巻か真希、あるいは釘崎に遊ばれたか。
虎杖がどれほどあほでも、気安く先輩の(それも女性の)手に触れることはしないだろう。
伏黒は訓練後の疲れた脳を無駄遣いしていることにまだ気付いていない。
なんとなく眠りこける人間を観察したいような気になって、伏黒はの向かいにしゃがんだ。
ペットボトルの蓋を捻る音が、べきべきと空間に響く。
こんな音で起きやしないと分かっていても、なるべく静かにしようと努めた。
口を付けた水は喉から食道へ、胃袋へ、体の内側へ行き渡り、風は体の外側を撫でいく。
火照った体が冷えていく心地よさ。
今日は天気がいい。とびきりいい。
なのには眠っているので、なんだか勿体ない。
1日のうちの起きている時間はコアラのそれより短い。
伏黒がぼうっと見つめる先で、の髪は風に揺られ、持ち主の首筋と頬をくすぐっている。
半開きの口元で風に合わせて行ったり来たりする。
その毛先は硬いか、柔いか。ちょっと、触ってみたいかも。
「ツナ」
「うわ」
横からぬっと顔を出されたので伏黒は驚いてのけぞった。
その拍子に水が少しこぼれて、コンクリートに染みを作った。
狗巻は悪戯っぽく笑っている。
「やめてくださいよ… 心臓に悪い」
「しゃけ」
悪びれもせずそう言うと、の肩に手を伸ばして揺すり始めた。それなりに激しく。
「おーかーかー」
隣の自販機に頭蓋骨がぶつかる鈍い音が2、3回聞こえた。
乱暴すぎて少し可哀想に思えるが、しかし起きる気配はなく、嫌がる素振りもない。
合掌は崩れ、脱力して傾いた体は完全に壁に預けられている。
これでは死んでいても気が付かないかもしれない。
「この人、ここで何してるんですか」
「しゃけしゃけ、ツナ」
身振り手振りとおにぎりの具は語った。
ぱたんと眠ってしまったをパンダと共に担いで運ぶ途中、飲み物を買うためにここに下ろしたはいいが、
2人で話し込んでいたらうっかり置き去りにしてしまったのだと。
人相こそ悪いが心は善良な伏黒は思った。ひどい。
一方で狗巻はお供物を指差すと首を横に振った。
「おかか」
「じゃあ誰が…」
「いくら」
誰が置いたかなんて、どうでもよくね?
伏黒はここで初めて、疲弊した脳をとてもくだらないことに使ってしまったと自覚した。
の前にお供物をした犯人を探したところで、街は動き、呪霊は生まれ、人は死ぬ。
しばらくの沈黙の後、狗巻はまた2回ほどを揺さぶったが、最終的には諦めてそのまま連れ帰ることにした。
狗巻は小柄なので、手足が妙に長い上に完全に脱力したを背負うのは大変そうだったが、伏黒には手伝う気などまるでなかった。
この人、日常生活どうしてんだろ、と思った。
湿ったTシャツの背中に気が付く。汗は多めにかくタイプらしい。
寝てる間にコップ一杯って言うしな。
伏黒はペットボトルの蓋を閉め、お供物を拾ってフラつく狗巻に続いた。
女子寮に入れず2人して、いや3人で、入口の前をウロウロすることになるのは、この後の話だ。