或る宵闇
蝋燭ひとつを灯した部屋、敷かれた布団は二組。大小の人間がひとりずつ、その上に身体を横たえている。
間を繋ぐのは手のひら。斎藤の目は何度も、桜色をした爪先が自分の指を柔らかに握る様子を眺めた。
右手に伝わる、柔い手のひらの肉質、体温、鼓動。
他者と空間を共有する感覚は神経を昂らせ、落ち着くことができなかった。
どの位時間が経っただろうか、夜も随分更けたはずだ。
虫が鳴く声がかすかに聞こえる。時折風が吹き、雨戸を揺らす。
斎藤は暗い天井に視線を移し、見えもしない木目を数えた。
右手がまた握り直される。
今度は隣で静かに息をする生命を見遣った。
神の領域から斎藤が両の手で救い上げた生命だ。
幼子は斎藤の右手を通して、夢中で何かを掴んでいる。
美しい子だった。
漆黒の髪は枕の上で広がり、蝋燭の小さな灯りですら艶として反射している。
白い頬に影を作る睫毛、立体的なふくらみと花の色を持つ唇。まるで工芸品だ。
後少し頬が青ければ、不気味さすら感じたかもしれない。
人間味は、顔に刻まれた痛々しい傷のお陰だった。
もう血は止まっている。そう深くない傷だ、痕も残らず消えるだろう。
本来ならば戸惑う場面でも落ち着いた様は、幼子の皮を被った別の生き物のようにも思えたが、斎藤は気が付いていた。
幼子は警戒心が薄い訳でも、人懐こい訳でもない。
相手に気に入られ、愛らしいと思われれば、痛い目に遭わずに済む、生きる時間を稼ぐことが出来ると知っている。
だから敢えて懐に飛び込んで喉を鳴らし、頭を撫でる手を嫌でも受け入れる。
ここまでの過程で得た捨て身の防御で、生存戦略だった。
傷付き弱った瞬間を最初に見たのが斎藤だからか、幼子は斎藤と曖昧な距離を取っていた。
原田や藤堂、永倉との間には存在しなかった間合い。
埋められない距離を保ったまま布団に入って間も無く、微睡の中に幻影でも見たのか、幼子は小さく泣き出した。
夢は心情を映し出す。
暗闇が恐ろしいのは、大きく変わった環境に抱く不安の表れだ。
斎藤は啜り泣く子を慰めようと、思い付くままぎこちなく手を差し出した。
幼子は擦り寄る様に手を握り、やがて涙を頬に残したまま、深い眠りの中へ落ちて行った。
後の事を考えずに差し伸べた手は動かすことが出来ない。
振り解く無情さを持ち合わせていなかった斎藤は、幼子特有の高い熱に神経を昂らせ、今に至る。
眠気は、こんな夜更けに出掛けたまま戻って来ない。
ふと、遂に蝋燭が潰えて消えた。
明日に支障が出ないか気にするあまり、ますます眠れずにいる斎藤を他所に、隣で静かに息をする生命。
彼女が穏やかならば、このまま心地の良い朝を迎えられるならば、いいか。
斎藤は幼子と向き合ったまま目を閉じた。しばらくそうしている内に、斎藤もまた眠った。
美しき女児の名前は、。激動の時代を生き、次代へ繋がれる宝の名前。