後始末

買い出しから帰ってきた斎藤を最初に出迎えたのは雪村だった。 まずはこの野菜を炊事場に、と思い足を運んだ斎藤だったが、頼んでもいない女児を抱えた姿では大層雪村を驚かせただろう。

「ええと、齋藤さん」
「頼まれた品は全て揃っている」
「あ、はい、ありがとうございます」

否、そうじゃなくて。野菜よりも気になる事がある、と雪村は思った。 熟睡している様子の子供に戸惑いつつも、斎藤から購入品を受け取る。 そこへ本日の炊事手伝いである原田と藤堂が姿を現した。 喧しく喋っていた二人だったが、斎藤を視界に入れた途端揃って閉口した。 目線は女児に注がれ、降り立つは沈黙。 何か言うべきか迷った斎藤が口を開く。

「何のえにしか、また出会った」
「だからって拾ってくるか、普通」

藤堂は驚き、原田は呆れた。 紛う事無き、あの日、齋藤が連れ帰った女児と同一人物である。

「大したことはないが怪我を負っている。手当てをしたい」
「山﨑ならさっき見かけたぜ。呼んできてやるよ」

更に、雪村には桶一杯の湯を、藤堂には八木邸に子供用の衣類を借りて来るよう頼んだ。 斎藤は自室へ向かう。小柄な斎藤ですら腕が余るほど、細く小さな体をしている。 子供らしさの象徴とも言える丸みを欠いた体躯は、十分な栄養を取ることが出来ていない証拠だ。 とは言え庶民の暮らしは厳しい時勢、してやりたくとも子供に分け与える米は少ない。 体温だけは安心する程に温かかった。 朝方畳んで部屋の隅に寄せておいた布団を片腕で敷き直し、女児を横たえる。 話し声や動作で目覚めるかと思ったが、随分と深く眠っているようだ。 結局帰り道でも他の子供らを見付けることは出来なかった。 子供の興味は移ろいやすい。 隠れた女児を探している内に、他の事に気を取られたのだろう。 やや紫がかった唇の血が凝固している。 額には何かで打たれた様な赤い蚯蚓腫れ。 褪せた鶸茶色に船底袖の四つ身は、男児用を流用したものと思われた。 思い切って帯を解き胸元を開ける。 もし身体も傷だらけだったら。 そんな斎藤の心配とは裏腹に、きめの細かい柔らかな肌が露出した。 あばらが浮いては居るが、元の体格が小さいのか、痩せっぽちという印象はそれ程受けなかった。

「斎藤、入るぞ」

原田が入室を告げ襖を開けた。 一礼した山﨑が後に続く。 斎藤は素早く着物の合わせを引っ張り、肌を隠した。

「傷薬をお持ちしました」
「手間を掛ける」
「構いません」

幼子の柔い素肌を確認する山崎の手先から、子供があまり得意では無い事が伝わって来る。 斎藤とて子守が上手いとは言えないだろうから、眠っていてくれて良かったと思った。 幼子のあやし方は習った覚えが無い、泣き出しでもしたら手に負えない。 壊れ物を扱うように、漆黒の前髪を避け、傷薬を塗る山﨑。 特有の香りと刺激に女児の瞼が震えるが、目覚めはしなかった。

「また島原の近くか?」
「いや」

神社の拝殿の中で、と言えば、また状況の説明が面倒になる。 言い淀んでいると声も無く襖が再び開いた。 そこに居たのは新選組を束ねる鬼の副長、土方歳三である。 後ろには手桶を持った困り顔の雪村。 頼まれた湯を運ぶ途中でばったり出会い、理由を尋ねられたのだろうと、大方想像がついた。 女児を一瞥すると、溜息混じりの低い声で部屋の空気を締め上げる。

「子供を攫って来いと命じた覚えはねえが」

斎藤は、怪我を負っている所に居合わせた、と偶然を装った。 嘘を吐くのは苦手だ。 目が泳いだかもしれない。 土方がそれを見逃すことはない。

「ほお」

土方は眉根に皺を寄せた。 苦労性の男は、苦労の種に人一倍敏感である。 間違いなく厄介の素を招き入れた斎藤は、居心地の悪さを感じた。 そう言えば雪村を新選組に引き入れたのも実質斎藤だ。 原田が笑顔で言う。

「ほら土方さん、弱きを助け、強きを挫くって言うだろ」
「あのな、俺たちゃ慈善集団じゃねえんだぞ」

土方は米神に手を遣り、頭痛を堪える様な仕草で問うた。

「斎藤、お前はその子供をどうしたいんだ」

斎藤は答えに迷った。 彼女を、どうしたいか。 新選組の存在意義とは、京都市中の守護に当たり、徳川家茂将軍の補佐として幕府体制を維持すること。 仕える主の居ない武士集団である新選組にとっては、幕府、この天下こそが主君。 全ては主君の為に。 主君の為に在ろうとする新選組の為に。 彼女をどうしたいか。 現幕府体制によって成される、良い世に生かしてやる。 傷付かず済むよう、要らぬ別れが訪れぬよう。 斎藤の瞳は浅葱。新選組が背負う誠の羽織と同じ色だ。

「一度手を付けたならば、最後まで見届けるのが筋。半端に捨て置くなど武士の恥です」

一息吐いた。

「彼女の保護を願います。俺は、いかような罰も受けます」
「その言葉に飾りはねえな」
「偽りの無い情を尽くすことこそが、背に負った誠と存じます」
「…分かった」

土方は溜息とも取れぬ短い息を吐き、踵を返した。

「出掛ける。山﨑」
「御意」
「出掛けるってどこ行くんだ」
「寺子屋だ。無責任な大人同士、腹割って話して来る。おい、子供」

土方が呼ぶまで誰も女児が起きていることに気が付かなかった。 到底子供を呼んでいるとは思えない声色で呼ばれた女児は、それでも自分が呼ばれたと分かったようだった。

「お前の身柄、新選組が預かった」

言い残し、立ち去る鬼。 些か驚いた様子の山﨑が急ぎ後を追って行った。 残された面々は顔を見合わせ、その中心で女児は土方が去った方を見つめていた。


inserted by FC2 system