図鑑外
女は眠る伊之助を横目にたばこをふかした。
女は大正時代を駆ける、働く女だった。
職業は学者、専門は薬草と香草だが興味の対象は生物全般で、先に死んだ鬼も標本にしてやろうと思っていた。
脳内でそろばんを弾き良い金になると期待していたが、伊之助がうっかり殺してしまったので台無しだ。
目を回して倒れた伊之助を体で受け止める羽目になった女は、痛む足を引きずって己のベッドに伊之助を投げ込んだ。
この時ほど寝室と書斎を二階に設けたことを後悔したことはない。
草履を脱がせ、匂いのついた猪頭を脱がせ、適当に毛布を掛けても身じろぎひとつしない。
最初は"くだん"が現れたかと思ったが、ただの人間じゃないか。つまらない。
お気に入りの英国風の大きなベッドを、こんな行きずりの変な野蛮人に明け渡すことになろうとは。
普段はほとんど開けることのない窓を、猪頭のために少し開けてやっている。
伊之助が酔った原因が、充満した香りだということはすぐに分かった。
田畑に猪避けとして香りを撒くことがあるくらいだから、見るからに獣臭いこの野蛮人にも効き目はあったことだろう。
まさか倒れるとは思わなかったが。
腰にも足にも無加工の毛皮を巻いているような人間を、女は見たことがない。
猪頭にこびりついた匂いを飛ばさなければ、と窓際に置いたはいいが、
椅子の上からこちらを見る焦点の合わない瞳が少々不気味だったので、猪には外を見せてやることにした。
招かれざる客にここまでしてやったのだから、謝礼はきちんと頂戴せねば気が済まない。
深くゆっくりとたばこの煙を吸う。
鼻の奥まで満たされる、特有の苦く芳しい香り。
紫煙を吐き出しながら手元の書物をめくる。
南国から取り寄せた花の香りは心を休める効果があると聞いていたが、濃度によっては嗅いだ者を陶酔させてしまうらしい。
取り寄せたハーブティーも少し香りが強すぎたようだし、麝香藤も合わさって悪い方へ作用したようだ。
長い期間嗅ぎ続ければ普通の人間にも害となるかもしれない。
最も害がありそうなものを咥えた女は、ペンを取り紙にあれこれ写し書いた。
新たな知識を得る機会にはなったが、有難迷惑だ。
伊之助が一際大きな寝息を吐いた。そろそろ目が覚めるだろうか。
女は短いたばこを咥えたままベッドに近付き腰掛けた。
「きれいな顔」
そういう女も町を歩けば幾人かは振り返るような顔立ちだが、鏡で見ると実際よりもぶすに見えたりするものだ。
要らぬ羨望を抱いた女は吸い殻をベッド脇の灰皿に押し付けると、最後のひとくちを顔目掛けて吹き掛けた。
煙は本繻子のように柔らかく伊之助を包む。
長い睫毛が震えると、萌黄色の両の目がぼんやりと女を映す。
目覚めたか、と思った次の瞬間、女は獣のような顔で唸る伊之助越しに天井を見ていた。
『低濃度では心を休めるが、高濃度では興奮、陶酔を起こし、』
文献にて、その後ろに記された言葉が蘇る。
『場合によって催淫作用をもたらす。』
これはまずいことになったかもしれない。
女の雌たる部分だけを見ている目で、伊之助は女の首筋に鼻を突っ込んだ。
相性を確かめるかのように匂いを嗅ぎ、がっしりと両の二の腕のあたりを押さえ付け、もがく女に構わず馬乗りになった。
「おも…」
鍛え抜かれた体の質量は見た目以上だった。
腹に乗られた女は苦しさに身をよじり、横這いに伊之助の体の下から抜けようとしたが、腰を両手で掴まれてうつ伏せに組み伏せられる。
多くの動物において交尾の姿勢は後背位である。
女の額を嫌な汗が伝った。まずい。
人間の性行為の手順も知らなさそうな伊之助は、幾重にも布を重ねた上等なスカートを乱暴にめくり上げた。
下着を含め、邪魔な布は引きちぎらんばかりだ。
慌ててスカートを手繰り寄せるが、代わりに下着は二度と使えない姿でむしり取られた。
無防備なところが露出する。
女は顔を歪めてもがいた。こんな子供に犯されてたまるか。
伊之助の荒い息遣い、衣摺れ、そして尻の間に擦り付けられる熱を持った塊の感触。
女は息を飲み硬直した。もうだめだ。
伊之助は細い腰を掴んで持ち上げると、ろくに慣らしもしていない穴に、棘のようなそれを突き立てた。
「ッうう」
裂けるような感触がした。
熱くて痛い。
こういった行為自体は何度も経験があるが、こうも身勝手で無遠慮なものは初めてだ。
内臓が無理に広げられて苦しい。
伊之助はこちらの反応など関係なしに腰を押し付ける。
平均よりもやや大ぶりなそれは、女の膣内を埋め尽くした。
休まる暇もなく抽送が始まる。腰を掴まれ逃げられない。全身の骨が軋む。
「う、ぐ、あ」
色気のない呻き声ばかりが喉の奥から漏れてくる。
伊之助は鼻で髪をかき分け、雄猫のように女のうなじを噛んだ。
肉を食いちぎるようにはできていない人間の歯だがそれでも痛い。
猪のくせに。女は痛みの中で注意深く息遣いを聞いた。
浅く早い。早漏め。心で罵った。
女は四つ這いの状態から足をどのくらい上げられるかを確かめた。
傷を負った足は大して上がらず、反対の足を上げようとすると傷が痛んで支えきれない。
やはりこっちか。
腰をつかんでいた手が胴に回り、抱き込むように固定される。
律動は早くなり、うなじが食い破られそうなほど痛い。
女は足を後ろに蹴り上げて、伊之助のどこかしらを蹴った。
交尾中の人間は大体無防備だ。
足先は見事どこかしらに命中したらしく、伊之助は横になぎ倒され、その拍子に陰部から熱が抜けた。
すばやく振り返ると、呆けた伊之助と、剥き出しの陰茎と、布団の上に吐き出された粘る精液があった。
女は特大の溜め息を吐いた。
「最ッ悪」