迷子を拾う話

庭先が夕暮れの橙色に染まっていく。 畳の上にだらしなく転がった一番組組長・沖田総司は、眩い輝きに目を閉じた。 目蓋を透かして射るような日差しを避けるように、陰に向かって寝返りを打つ。 着物の裾が乱れ素足が覗いたが、気にも留めない。 特に事件や騒ぎもなく、極めて平和な本日の京。 巡察を終えた一番組と入れ替わり、斎藤率いる三番組が出て行ったのは昼を少し過ぎた頃だ。 今日はとても退屈だったよ、と屯所を出ようとする浅葱色の背中に投げかけると、咎めるような視線が返ってきた。 天辺にあった太陽は徐々に傾き、間も無く山の向こうに沈もうとしている。 三番組は未だ帰って来ず、これは何かあったな、と沖田は確信した。 人が厄介事に巻き込まれる様を傍から見ているのは愉快なものだ。 翳りゆく部屋の真ん中で、日暮れと夕餉を待つつもりだったが、どうにも玄関の方が騒がしいことに気付く。 もしや厄介事を引き連れて斎藤が戻ったのだろうか。好奇心に誘われて身を起こした。

「で、どうすんだよこれ」
「これっていうな」
「喋んないんじゃどうにも…」

沖田が顔を覗かせると、原田、永倉、藤堂の組長三人と、帰ったばかりと思しき斎藤が振り返る。

「何してるの?」
「総司、良い所に」
「一くんが子供拾ってきたんだ」
「は?」

子猫を拾ったのとほぼ同じ調子だったが、今藤堂は子供と言ったか。 藤堂の肩越しに覗き込めば、身の丈が腰にも届かないような子供がいた。

「ウワ」
「こら、総司」

まるで妖怪を見たかのような反応を原田が咎めるが、沖田が気にするはずもなかった。 雪のように白い頬、花が咲いたような彩りの唇、長い睫毛が縁取る瞳は黒曜石。 切り揃えられた漆黒の髪が、肩の辺りで揺れている。 人形の如く均整の取れた容姿だ。禍々しさすら覚えるほどに。 随分と珍しいお土産である。

「どこで拾って来たの、こんな綺麗な子」

沖田は見たままの感想を述べた。 誰がどう見ても、将来に期待を寄せざるを得ない女児である。 六つくらいだろうか。

「花街の近くを独りで歩いていた」
「えっ、それだけの理由で?」
「あの辺りは余り安全とは言えない」
「そうだけどさ」

夜の街から子供を遠ざけたいと思うのは正常な大人であれば当然だろう。

「どうにも口が利けないらしい」
「親元を探そうにも手掛かりがねえんだ」

なるほど。冒頭のやり取りに合点がいく。 斎藤と永倉の言葉を受け、眉を寄せた沖田はもう一度女児を見遣った。 着物は上質な黒の染め、すなわち高級品だ。 背中に小さな円形の刺繍がある。恐らく家紋だろうが、この辺りでは見慣れない。 そこらの子供に買い与えるような代物でないことは明白だった。 とすればどこか大きいな家の子か。 平穏と言い切れぬ世の情勢から考えれば、幼き密偵という可能性もあるが。 考え込む沖田とは裏腹に、警戒心の欠片もない藤堂がしゃがんで女児と視線を合わせた。

「名前は?」

女児は押し黙ったまま藤堂の緑玉の瞳をじっと見つめ、やがて小さく首を横に振った。

「え、名前ないって」
「んな訳あるか」
「花街の近くにいたってのが引っ掛かるな」

原田が呟く。 望まぬ子を授かった花街の女が捨てた。 しかしそれにしては身形が整いすぎている。 比較的最近まで大切に育てられてきたことが見て取れる。

「耳が悪いって可能性はねえのか?」
「今も首振ってたし、聞こえてはいるだろ」

大人があれやこれやと言葉を交わす間も、女児はあまり身動きを取らなかった。 ただ丸い黒曜石の瞳だけが、控えめに大人たちの顔の間を行き来していた。

「自分の名前も言えないんじゃあ、親探しも手間取りそうだな」

何日彷徨っていたにせよ、これほど上等な衣服を纏った幼子を誰も探していないのは疑問である。 行方知れずの尋ね人の捜索は新選組でも時折請け負うが、彼女の特徴に一致するような案件は無かったはずだ。 唯一の手掛かりとも言える家紋の図柄を、意外と器用な男・原田が雑紙に写し描いた。 やがて沈黙が訪れる。 大の大人が五人、子供らしさを何処かに置いてきたらしい女児を囲んで黙っている。 暫くして沈黙を破ったのは永倉だった。

「で、どうするよ」
「元いた場所に返すわけにはいかないよね、猫じゃあるまいし」
「つっても屯所に置いとくわけにもいかねえだろ…」

土方さんに何言われるか分かったもんじゃねえ。 原田が言うと、途端、沖田は嫌な笑みを浮かべた。 良くないことを思いついたときの、あの笑みだ。

「一くんが拾ってきたんだから、一くんが最後まで面倒みなきゃ」

己の名前が出なかった者は内心安堵した。 だよね、と女児にも同意を求めたが、女児は此方を見上げるだけだった。 斎藤は小さく溜息をつく。副長は一体何と言うだろうか。

「斬られないといいね」
「おい、総司!」

脅し文句を原田にまた咎められた沖田は、そそくさと逃げた。 この後斎藤は、新選組副長・土方歳三の元へ行き、得体の知れないお土産の幼児をどうするか、指示を仰ぐだろう。 詰めの甘い土方は、溜息をついてお叱りの小言を二、三言った後、女児を預かると言うだろう。 面倒はお前が見ろと言って。 容易に思い浮かぶ今後に、沖田は鼻歌でも歌いそうな気分だった。 しかし、物事ははっきり予想できたときほど、そう上手くは運ばない。 沖田の予想を裏切り、土方は首を縦に振らなかった。 従順な犬のような斎藤がその指示に従わない訳が無く、女児は自身について何も語ることが無いまま、 あれよと言う間に近くの寺子屋に預けられた。 未だ七つ前であろう女児を、寺子屋の師匠は二つ返事で受け入れた。 あの寺子屋に通う子供達は彼女よりも幾つか年上だ。 馴染めるか拒まれるかは運次第。 何より、押し付けられた女児に、誰も親切にする義理はないだろう。

「ああ、残念だな。子供大好きなのに」

縁側に足を放り出して座っている沖田が、通りすがりの鬼、ではなく土方に嫌味を投げた。 お気に入りの玩具を取り上げられた子供のようだった。

「無責任なことを言うんじゃねえ」
「一旦招き入れた子を放り出すのも無責任だと思いますけど」
「連れてきたのは斎藤の独断だろうが」
「部下の尻拭いは副長の役目ですよね」

粘着質な話し方は神経を逆撫でるが、土方がそんな安い挑発に乗る訳もなく。

「新選組の仕事に子守は無えよ」

話は終わりだ、とでも言いたげに手を振って背を向ける土方。
沖田は足音に控えめな不満を滲ませ、足早に土方を追い越すしかなかった。


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