犬
ヒーロー活動をしていて、たまに遭遇するのが個性事故である。
突然の出来事に気が動転した人が暴走させたものだったり、まだ個性のコントロールが難しい子供だったり、
あるいは個性と個性がぶつかり合ったことによる化学反応だったり。
この日2人が遭遇したのはその全てに当てはまる一件だった。
気怠げにパソコンに向かう後ろ姿に、見慣れないふさふさのしっぽが揺れている。
通りすがりにちょっと掴んでみる。
「ギャ」
聞いたことのない声を出してが飛び上がった。本来存在しない箇所を触られる心地というのはかなり刺激的らしい。
「うるせえな」
「いきなり掴むからでしょうが」
遡ること数時間前、平日昼間の街中。
ヴィランによる強盗事件発生。犯罪の現場に居合わせ、集団パニックを起こした校外学習中の子供たち。
その内の"他人に特徴を付与する個性"と"無機物を犬に変える個性"が混ざって変性した結果、
には一時的に"個性:犬"が付与されてしまっていた。
避難誘導にあたっていただけで、とんだとばっちりである。
「で、いつ消えるって?」
「時間経過で」
爆豪はキーボードを叩くの隣に椅子を持ってきて腰掛けた。
ちらと横目でこちらを見るや、遠ざけるように向こうへ身を捩る。
その髪の間に垂れた犬の耳が埋もれている。
根元が気になって、柔らかい金髪の間に手を差し入れた。
ちょっと、と制止の声が上がったが無視した。
本来あるべき場所から人間の耳は消えており、それより少し高いあたりから犬の耳が生えている。
根本をまさぐるがしっかりと皮膚から生えているようだ。
犬の毛の部分は頭髪よりも細く柔らかい。
すりすりと耳周りを撫で回していると、仕事をしていたの手が止まっていた。顔を覗き込む。
「おい」
は椅子ごと飛び退いた。
気持ちよかった。マッサージというよりは温かい湯に浸かったときのような。
このままとけて眠りたくなる一方で、気持ちよさに集中して味わい尽くしたい気もした。
そして多分、そうしていた。
自覚が遅れてやってきて、頬が紅潮していく。
うっとりと心地よさに目を細めるなんて、珍しい表情を見た爆豪はにやついた。
「犬だな」
「……死にたい…………」
口を開きかけて閉じ、そして顔を覆って俯いた。
尻尾も力なくうなだれた。わかりやすい。
爆豪がもう一度耳元へ手を伸ばして来たので、は資料とパソコンを抱えてソファーへ逃げたが、爆豪はを追って隣を陣取った。
手からパソコンを取り上げてテーブルへ置き、心底嫌そうなの頭を正面からがっしりと掴む。
頭を振るだったが、耳の付け根で指を動かすと途端に大人しくなった。
尻尾は左右に揺れている。わかりやすい。完全に犬だ。
指を運ぶ。後頭部を包むように撫で、親指で耳に触れ、指先で耳を挟んだまま頬を包んだ。
普段はにこりともしない無愛想な面が、ゆるんで紅く染まっている。
「わん、っつってみ」
「…………わん」
1秒で我に返ったは手足を丸めて縮こまり、頭と顔を隠すと、そのままソファーに倒れ込んだ。
「最悪」
流石に本当に鳴くとは思っていなかった爆豪は面食らった。
しかもちょっと可愛かった。
心地よさに抗えず流されるだなんて、人間に直したら大変なことである。大変な、ことである。
余裕なふりを崩さないまま、の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
「ずっとそのままでいろよ、おもしれー」
はバネのように勢いよく身体を伸ばし爆豪を蹴ったが受け流された。くぐもった震え声が言う。
「死んでやる…」
「死ぬな、死ぬな」