マジックアワー

何度ノックをしても返事がないのでやむなくドアを開けたら、 開けっぱなしの窓から風が吹き込んでカーテンがはためき、机上の書類の数枚が床へ飛んでいた。 ため息ひとつ、入口近くから紙を拾いながら机まで歩き、書類の束へはぐれ者たちを合流させる。 窓とカーテンをきちんと閉め、視線を左右に振って部屋の主を探すと、壁際のベッドがこんもりと膨らんでいた。 かたつむりのように丸まって、すいよすいよと寝息を立てている。

「起きろ、ボケナス」

挨拶程度の暴言と共に丸い背中を小突くと、寝息とも寝言ともとれない声で鳴く。

「うーんじゃねえ、起きろ」
「むり……」

ぎゅうと目をつぶった横顔がブランケットにうずもれて消えた。 。学者の父を持ち、ハンジの推薦で入団した若い兵士だ。 リヴァイは渦巻き状になったブランケットを掴んでひん剥いた。

「ハンジが呼んでる。会議だとよ、起きろ」

一皮剥いだらこの女、ほとんど下着姿だった。 かろうじて臍が隠れている程度である。 リヴァイは無防備な肌色を見せつけられて眩暈がした。

「おまえ、何て格好してやがるんだ…」

リヴァイに奪われたブランケットを手繰り寄せすぎた結果、 繭のようだった寝姿は背中側からはみ出ていき、まるで羽化する蛹だった。 羽の代わりに点々と背骨の浮いた背中があらわになる。 こいつが脱ぎ捨てた服はどこだと部屋を見渡すと、洗濯物が入っていると思しきバスケットから自由の翼がはみ出ているのが見えた。 絶対に清潔ではないそれを、舌打ちと共に指先で摘み上げる。こういう時にかぎって手袋を持っていない。

「着ろ」

バスケットの中から掘り返した着替えを次々にベッドへ放り投げた。 ことごとく皺がついている。 ベルトを丸めて投げたら当たりどころが悪かったのか呻き声が上がった。

「あれ、へいちょう、なんでいるんすか」

ようやく上体を起こしたは大きな欠伸をして、まだ寝惚けた顔で言った。 普段は結い上げられている髪がなだらかな肩に沿って流れている。

「ハンジの遣いだ。蹴られたくなけりゃ、さっさと着替えろ」

部下の無意味な半裸などこれ以上見たくもないと、リヴァイはの姿を視界の端の端で捉えるだけに留めた。 しかし、ベッドから降りたがバカみたいに大きな欠伸をしながら部屋をうろつき始めたので、 リヴァイもバカみたいに大きなため息をついて目を覆う羽目になった。 どうやらそのおかしな姿を晒すことに、微塵の恥じらいも覚えないらしい。

「おい、その格好でうろうろするんじゃねえ」
「水くらい飲ませてくださいよ…」

くいっと水を流し込むも、緩んだ口の端からこぼれて胸元にまで伝った。汚えな。

「ボケナスよ、俺はガキの世話するために来たんじゃない」
「すんませーん」

投げ付けたタオルを顔で受け止めたの、くぐもった謝罪が聞こえた。 兵士として、それ以前に女として、その警戒心は薄さはどうなんだ。 は訓練兵を経ずに入団した特殊な兵士。 つまり、誰もにまともな集団生活の送り方を教えてやらなかったのだろう。 大きな欠伸のおかわりを見るに、放っておけばもう一度寝に入ると思ったリヴァイは、の椅子に腰掛けて待つことにした。 会議には寝坊で遅刻寸前、起こしにきた上官にはだらしのない寝起きを披露、それでいてリヴァイより背が高い。 おかげで椅子の高さがまるで合わない。クソが。 さらに言えば、思いのほか乳が大きかった。 気付きたくなかった。 リヴァイは椅子を回してに背を向け、くすんだ色のカーテンを見つめながら言った。

「寝るときは服を着ろ、鍵も閉めろ。兵舎に何人男がいると思ってんだ」
「大丈夫ですよ、大体みんなドア開けてすぐ逃げていきますし」
「そりゃ、女が裸で寝てたらビビる ……… おい待て、みんな、と言ったか?」
「え、はい」
「おまえ、しょっちゅうこんなことやってんのか」
「しょっちゅうっていうか、寝るとき服着ない派なんで…」

そんな派閥はリヴァイの知る限り存在しない。 後から詳しく聞いたところ、理由として北方出身であることを挙げていたが、それなら尚のこと服を着て寝ろと思った。 側から見れば今のリヴァイは、半ばずり落ちそうにも見える姿勢で部下の着替えから目を逸らしている間抜けだが、 そうでもしないと足の裏がきちんと床に着かなかった。 しばらくして、聞き慣れた衣擦れの音に再び椅子を回したリヴァイは、振り返った先で本当に椅子から滑り落ちそうになった。 ジャケットを羽織ろうと片腕を通しているが、その下のシャツは濡れて肌を透かしていた。

「濡れてる」
「顔洗ったんで」
「理由を聞いたんじゃない。着替えろ」
「洗濯してないんでこれしかないです」
「汚えな。透けてんだよ」
「ジャケット着れば見えませんから」
「いま俺には見えてるが」
「兵長、興味ないでしょう」

イラッとした。アホかこいつは。男だぞあるに決まってんだろ。 立場と性格上、外面からは見えないだけだ。 誰だこんなありのままで入団させたやつは。 馴染みのメガネ姿が脳裏に浮かぶ。そう思えば似た者同士な気がしてきた。 しかしハンジがきちんと教育しないなら、誰が教えてやるというのか。 こういった事柄は総じて早めに手を打っておかなければ、後々になって自分に跳ね返ってきたりするものだ。 となれば、再教育は俺か。リヴァイは一際大きなため息を吐いた。

「おいボケナス、その賢い頭で俺が今から言うことをよぉく考えろ」
「はあ」

リヴァイが立ち上がると、勢い余った椅子が緩やかに半回転してキイと音を立てた。

「調査兵団の仕事は壁外、つまり人類領域外の調査だ。巨人との戦闘機会が一番多い」
「はい」
「力が求められる兵団所属、男と女どっちが多いか知ってるか」
「男です」
「そうだ。嫁子供がいるやつは大抵内地を希望するから、うちの兵士に特定の女を囲ってるやつなんかほとんどいねえ」
「はい」

が返事をするたびに一歩、また一歩と歩み寄るリヴァイ。 いや、詰め寄ると言うべきか。 一方では何を察したか、リヴァイが一歩進むごとに一歩退がっていく。

「変人、バカ、戦闘狂、色気ゼロ、何かしらに振り切ったやつばかりの数少ない女兵士の中で、お前は一際乳がでかい」
「はい…… はい?」

何言ってんだこの人、そう顔に書いてあるのが見て取れた。 しかし事実である。兵団装備のベルトを付ければ殊更強調されることだろう。 前線で戦う兵士でないことが、これまでを救ってきたと言っても過言ではない。

「俺がいうのもなんだがな、大体の男は女の乳を見てる。それがでかいとなりゃ尚更な」
「はあ」
「特定の女もいねえ、女を買う金もねえ、果てには巨人と戦わされ、明日には食われて死ぬかもしれねえ。そんな青臭い野郎どものど真ん中で、裸で寝てたらどうなると思う?」
「裸じゃないですけど」

リヴァイが顔の前で指を立てたのでは口をつぐんだ。 小言を続けるリヴァイに対し、とりあえず従順に返事をすることにしたようだが、 残念ながらその"とりあえず"は自身の胸元くらいリヴァイに透けている。 こいつ適当に返事してんな。 さて、退がり続けた果てにの足はベッドにぶつかった。 リヴァイが肩をとんと押せば、膝が折れたはベッドに腰を下ろし、リヴァイを見上げる形になる。

「ボケナスよ、おまえは学者の卵のくせして人間の男のことはまるで分かってねえようだ」
「はあ」
「群れからはぐれた無防備なひつじってのは、大体狩られて食われちまう」
「そうですね」
「おまえ、食われるってのはどういう意味かわかってるか」
「はい」
「ほお… 覚悟はできてるってことだな、それは」

適当に返事をし続けたは、鋭い眼光に射抜かれ、ついに息を詰めた。 右腕を通しただけで終わっていた半端な上着を抜き取り、その辺に放る。 蹴りのひとつでも飛んでくると思っていたらしいがそれを目で追う。 戸惑っている顔を掴んでやる。至近距離で目と目が合う。 危機感を覚えたか反射的に引こうとする
引かれるほどに、逃がしたくなくなる。 リヴァイは触れそうなほどぐんと顔を近付けていった。 ベッドに上がりを追い詰めると、仰け反った上半身を支える肘を払い、倒れ込んだ身体を跨いで膝立ちになった。 状況が飲み込めていないらしい部下を見下ろす。 顔の横に手を付いて四つ這いになる。困惑して半開きの唇に吸い寄せられる。

「せいぜい後悔しろよ、おい」

親指の腹で滑らかな頬を撫で、リヴァイはへ覆い被さった。


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